top of page

2021

Vol.04

​特別企画展

山川真一展
​-色彩のプロムナード-
Shinicni YAMAKAWA Solo Exhibition

山川真一展_チラシオモテ.jpg

時間別予約制

【 会 期 】 2021年8月12日(木) -  10月3日(日) 

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  山川真一(個展)

山川真一_表紙.jpg

山川真一画集』2021年7月刊行予定

 本展会期中に会場にて販売いたします。

 詳しくはスタッフまでお問い合わせください。

Cover SAPPORO(Night)

HOKUBU015.jpg

SAPPORO(Otouri)

HOKUBU016.jpg

ASAKUSA(2019)

HOKUBU013.jpg

TOKYO・2015

色彩の魔術

絵といえば、精密な被写体を描く図工に近い世界もありますが、今の時代いい絵とはそれだけではありません。本当にいい絵とは、そこに画家の持つ特徴や個性の著しいタイプが強く鋭く出ているという条件があります。画家のタイプといえば、社会との間合いのとり方にもいろいろなタイプがあります。制作をすすめる上で現実に背を向け、自らの内面化された世界に引きこもる人もいれば、本質の解析を基にして、理論化の作業を優先する人もいます。これとは対照的に、現実の取材を糸口に個人の創意と努力で魔術的な力を発揮する人タイプもあります。こういう画家は断然、空想の世界の中ではなく、現実社会に魅力を発見します。 

都会の雑踏のせわしなさを、あるいは埋め尽くされたビルの灯りを、人間の力で幻想的な世界に作り変えることを魔術と云いましたが、それは童話的な趣味からではありません。また、通常とは異なる個性的な色と形に創作の手掛かりを見出すことは、一寸考えると、むしろ些細な事かもしれません。画家という職業にとっては何の不思議もないことですが、山川真一の絵を見ていると、個性的な色彩の路線のあとに現実との結びつきを増大させる割合が、いかにして、こうも次々と大股の進歩で先に進めるのだろうかという性質が恐ろしく魔術的なのです。

技術的なことを云うと、山川は発色を良くするために、白(光を反射する)の上に透明色をのせます。混色は避けて、見る人の網膜の中で原色が混ざるような配色をします。それは、理論の上からで、そのようにしながらも、最近では更に一歩進めて、全体の明と暗の量的な比較から、必要な暗い色を重ねています。実際の制作過程では、この配色を巨視的に展開しながら、地道にマチェールを積み上げて、色では表せない実在感を増加させていきます。それを単に、現象的な差異として理解するのは安易で間違った態度かもしれません。画家は、色の中でも、本質的なものを抜き出し、単純化した骨組みのようなものを作っているからです。それは、移り変わりの激しい時代の活動の群から数式化したメカニズムであり、心理的な魔術のようにも思われます。

ただ、その魔術については後に述べるとして、画家が独特の色彩を、とめどなく吐き出すために、社会とどのような向き合い方をしなければならなかったのかを触れるだけでとどめたいと思います。山川にかかると個々の具体的な現象によって時代の真相までもが描かれているようなのです。山川にとっては抽象だの、具象だのは問題ではなく、生活の本当の姿を見る眼が大切なのです。それは、我々の日常の中に握られている要素が多く、つまり、釣り人が防波堤の前に人が並ぶことも、札幌の名物たる夜景も、すべてが現実のエピソードですが、多かれ少なかれ浸透している景色を、山川は人間の活動力を働かすためのエネルギーとして美化しているように思えるのです。社会的な素材が以上のような性格を帯びている以上、色彩や形が飾り物としてではなく、自分の眼で見て本質的な画面を確立させなくてはいけません。画家の興味は、社会の意図とも結びつきます。そのための形成過程も、大衆と芸術との共通の意識を自分の頭で考えることで、推し進めなくてはなりません。それが魔術の第一歩だと思います。それは、時代を論ずる今の映像として、我々が相槌の打てるものです。

しかし、それよりも我々の注意を引くのは、その多彩な色と形の変化です。山川真一は実にあざやかな色彩で、風物の光と影を調和する画家です。画家は年齢的にもさまざまな時期を経験していますが、それは過去の回想というよりも、感度の強い人工性を持った記憶であり、しっかりとした観察によって、人間の感覚というものを教えてくれるものです。たとえば風景を写真にとれば遠景はぼやけますが、我々の目に見える光は飛行船に乗って地上を見下ろすように、あるいは望遠レンズが遠近を圧縮するように、等距離に浮かび上がるものです。山川の最近の作品は印象的です。明暗の対比は、印象をそのまま目に焼き付けて描いているようです。高台から遠くを眺めているような視点は、整然と組み合わされたパズルのように、黒、緑、白、電灯の赤や黄色が、そして夜の風景ではそこに蛍光色が加わり、明暗の美しい表情をたたえています。それは人間の眼のいたずらというか、非合理的な特質をそのままにというか、遠近のある景色を、まるで吹き抜け屋台のような都市像にしています。

 しかし、それにも拘わらず我々が驚かされるのは、遠近に対する微妙な色の区別がされているという事実ではないでしょうか。しかもこの区別は、奇異に思われるかもしれませんが画家の心と合致しているように見えるのです。深浅の度合いを処理する遠近法ではなく、事物の感覚的な構図を意味した遠近法とでもいうのでしょうか。もやや大気のわきあがる景色にあるような、心理におよぼす色彩の働きが感じられるのです。それらは、心理的現象と融合した色に順応するもので、いらぬ推測かもしれませんが、つまり我々は画家の仕掛けた魔術にひっかかったということになります。まことに一朝一夕にできあがったものではなく、天分の鍛練を思い知らされるような罠です。認識の客観性と内的な心理との関係は対立するものではないということも教えてくれるのです。

筆者が述べるような、眼に見える現象を自己に潜む内なるものと融合させることは、近代絵画の常套手段ですが、そこには我々が経験する合理的な風景よりさらにいきいきとした種の現実感をともなっているのです。それは統一ある自我意識により伝達される感覚以上に、光と光、すなわち心と心をつなぐ、存在のあり方を物語るもので、誰もが一度は経験する夜な夜なの幸福の感じが、つまり風景の描写が、線を引き、面を作ると、やがて高さや、幅や、奥行きを持って立ち上がるように、突然、一つ一つのものが意味を帯び、社会の調和が解き明かされる感じが後に残るものです。思うに人間が自力で地上に建設したこの楽園は人間の願望を背景にして出来上がったものです。山川真一はそこに胸をおどらせたのではないでしょうか。そして山川真一は魔術的な色彩を通して、美しい街並や自然を大切にする気持ちを表現したのではないでしようか。つまるところ山川真一の絵は、社会をいかにして見せるか、そのことに目的がつきるのではないかと思われます。

HOKUBU記念絵画館

HOKUBU Memorial Picture Museum

bottom of page