2025
Vol.2
平 塚 運 一
2月27日 - 3月16日
【開館日】
会期中の木・金・土・日曜日
【開催時間】
10:00 - 17:00(最終入館16:30)
【出陳作家】
平塚運一 Unichi HIRATSUKA
ベン・シャーン「伝導の書」
平 塚 運 一
HOKUBU記念絵画館
平塚運一は、1895年に島根県の松江市で生まれました。実家が宮大工を営んでいたため、幼少の頃から自然と木に触れる環境の中で育ちました。詩的精神が旺盛で、短歌に興じていたという青年は、毛筆で描いた挿絵を木版画に彫る「コマ絵」にも熱中し、早くから木版画にも親しんでいました。やがて、石井柏亭に見出され、画家として歩みはじめますが、転機となったのは、梅原龍三郎と安井曽太郎の木版画制作に協力してからです。平塚は、二人の簡略化された色彩と形態に感銘を受けます。そして、二人のような近代的でインパクトある造形によって、新しい時代の木版画を切り拓く決意をするのです。
その後、安井と梅原が、平塚のスタイルに必ずしも反映されたとは言えませんが、色面で画面の押し出しを演出するなど、瀟洒な様式が需要された形跡もあり、そのスタイルは外来に近い安井と梅原にも通ずる近代的な感覚を加味したものです。ただ、平塚の功績として、自他共に認められているのは、白黒版画であり、その統一性とリズムに富んだ表現の開拓です。それは、明治では写実が、大正では象徴性が主流になり、昭和において総合的な発展を見せながら、装飾的な効果が加わった近代木版画の原点といえます。その造形の、なんといっても感興をもよおすのは、アイスキという、本来は不要な部分を彫る為の道具を用いた、突き彫りによる線のギザギザした感じと、骨太で、シンプルながらも重量感あふれる画風です。線には太い細いの変化があり、黒と白が連続する形式で配置されたそれは、明快な創意センスと熟達した彫りの技術が高い次元で両立しています。
木版画の普及と発展に尽力し、多くの門下生を輩出するなど、創作版画の中心的な役割を果たした平塚は、六十八歳でアメリカに渡り、その後は、三十年も制作一筋の生活を送りました。そして、最晩年には裸婦の連作に取り組みます。その平塚の到達点ともいえる裸婦は、肉体のふくらみを立体的にとらえながらも、より硬直的に、二次元的に処理することで、骨太の造形に更に磨きをかけたものです。それは、平塚の美意識の結晶といえます。本展は、初期から晩年までの作品を網羅し、平塚の生涯と重ねることで、その芸術の真髄に迫るものです。