2021
Vol.02
色彩の積極的排除から
見えてくる表現
【時間別予約制】
【 会 期 】 2021年3月11(木) - 5月2日(日)
【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日
【展示作家】 伊勢裕人(絵画) / 武田史子(銅版画)
伊藤隆弘(彫刻) / 伊藤三千代(彫刻)
古代ギリシャの彫刻が極彩色に着色されていたことは、全く不思議で理解に苦しむ事実であります。ローマの職工たちが色彩のはげ落ちたギリシャ彫刻に倣い、色を積極的に排除したことは、ある意味で純粋な美としてその芸術性を高めたからです。 伝えること、分からせることに限界があることを知り、それ以上のものは描かないのが逆に、伝えること、分からせることの秘訣かもしれません。最も簡単な例をとり出してみると、たとえば彫刻家が版画で形態の回り込みや、厚みや量の塊を伝えようとするとき、それを浮き彫りのように削って表現することは出来ないからです。したがって、それは、形態の本質が伝わりやすい構図を採用し画面を構築することになります。それが目指すのは、肝心なポイントだけを写し出すということです。 ギリシャ彫刻を模倣したローマンコピーが不完全な美を発見して、これを用いたということは美術史上重要な大業の一つであって、これが真に普遍的な彫刻美の第一歩となっています。この発見は直接の観察に基づきながらも、結果的には誤った手掛かりによって導かれたことは言うまでもありません。たとえば、ミロのビーナスも頭部のバランスが今一つで、彫刻の質から言えば他と比べ低いのですが、ギリシャの等身大の女神像のうち、頭部が残る作例は、この像だけで、その希少性から種々の意味で重要されていることは、意外と知られていない傑作の内実だといえます。それは美というものが、必ずしも信用が置けるものではないことを我々に教えてくれるものです。 本展は、思いがけない何かのきっかけで、より複雑な色彩的陶酔を退けた作家たちの展示です。たとえば水墨画が色彩を積極的に排除したように、日本美術の伝統的な作品は白黒版画だったり、茶道のわびさびだったり、時に色彩が限られるだけに、それだけその形質や素材の違いがよくわかるものです。それは、過去の美術と交錯しつつ、それに近づけようとしていることは明らかなようです。今日的な表現が、静かな構図の中で何かを描くとき、色彩を減じる民族的な感性がにじみ出るものです。これらの性情の広汎な動きを、ジャンルを超えた時代の表現としてお楽しみください。