2021

Vol.01

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目で考えるストーリー

​(2・3F展示室)

​時間別予約制

 【 会 期 】 2021年1月21(木) - 2月21日(日) 

【 会 場 】 2・3F展示室  

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  今井 俊(木版画)  /  平塚運一(木版画)

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独特の世界観を作り出している今井俊の原点には、メキシコ時代のスケッチとそこに添えられた文章があります。それは、文と絵が互いに触発を受けながら、1つの指向を持った作品として合成されたものです。やがて言葉と一体になっていた、それぞれの絵が連関しはじめると、絵本の物語が文章に替わって作品に力を与えるようになります。 イメージとは心的な操作が作り出す想像であって、そのイメージと物語との間に、意図がある絵本というのは、たとえば、いい風を受けて凧が高く上がるときの手ごたえというか、物語が上手な語り口を得ることによって、読者の想像力までもが補完されるようなものです。けれども、絵本の絵というのは、物語が中心に構成される関係で、ともすれば、言葉以外の内容は見落としがちです。目は文字を追っていながらなので、絵が実力を発揮しないのです。今井俊の絵は優れた映像と同じで、字幕が無くとも活き活きとした物語が感じられるものです。イメージに物語性を加え膨らませた、行間の余韻と、言の葉の肌触りは、知覚の上では眼で考える機能がたよりになります。物語の進行を視覚で考えるストーリー。見る者を絵の中にひっぱる視覚作用です。先人からの贈り物を刺激しあいながら深め、次へと続いていく素朴で原始的な画風とともにお楽しみください。

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冬は読書で自粛する

(1F展示室)​

 【 会 期 】 2021年1月21(木) - 2月21日(日) 

【 会 場 】 1F展示室  

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  狸小路エリ(油絵)  /  松井宏樹(写真)

 

※本展では入館時に当館刊行の書籍『写真小説 DO TO』を贈本いたします(2021年1月刊行)。

じっくり読書に浸っていただけるよう、1Fでは4つの部屋を

その読書のための個室としてご利用いただきます。

​入館状況によってお部屋をお選びいただけない場合がございますが、各部屋を貸切にすることで、自粛のようにゆっくりと読書をお楽しみいただけます。

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絵画館では来館者の声にこたえて現状のルールを再考した結果、2021年からはシステムを一変することにしました。ウィルス対策と同時に鑑賞の質というものを形成する必要があると考えたのです。まず1階については時間制限を無くします。そこはコーヒーで鑑賞の余韻を楽しんでいただける場所を作ることにしました。それはどういうことかというと、2階・3階を1つの組み合わせにして、それと1階とは別に領域を分けて思い思いに利用していただくということです。つまり、2つのエリアの棲み分けが感染から守ってくれるという訳合いになります。 特に1月から2月にかけてはウィルスが活発化しますので、共有スペースの分離する意義は大きいと思われます。1階は時間無制限になる関係上、時間はあまりあると思いますので、展覧会に関連する新刊本を差し上げます。その1階の展覧会の内容については、風変わりなようですが詳しく述べません。まるで五里霧中でしょうが、絵を見て、写真を見て、本にも感心を寄せるという寸法です。システムでいえることはニーズでもいえるように、それがディープなファンのための展示ということだけはいえます。 はっきりさせておきたいのは、感染の予防は天地の重みほど重要ですので、これは注意深い人のみに開かれた観覧です。そういう意味で感染の対策をする用意のない人には御遠慮願います。対策を述べることはしません。分りきったことは退屈になるからです。第の目的は、長い冬を快適に過ごすお手伝いをすることですが、これはある意味で鑑賞という名を借りた新しい自粛です。人間から人間に渡り歩くウィルスとの戦いになさねばならぬ絵画館での楽しい自粛です。

2021

Vol.02

色彩の積極的排除から

​見えてくる表現

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 時間別予約制

【 会 期 】 2021年3月11(木) - 5月2日(日) 

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  伊勢裕人(絵画) / 武田史子(銅版画)

        伊藤隆弘(彫刻) / 伊藤三千代(彫刻)

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古代ギリシャの彫刻が極彩色に着色されていたことは、全く不思議で理解に苦しむ事実であります。ローマの職工たちが色彩のはげ落ちたギリシャ彫刻に倣い、色を積極的に排除したことは、ある意味で純粋な美としてその芸術性を高めたからです。 伝えること、分からせることに限界があることを知り、それ以上のものは描かないのが逆に、伝えること、分からせることの秘訣かもしれません。最も簡単な例をとり出してみると、たとえば彫刻家が版画で形態の回り込みや、厚みや量の塊を伝えようとするとき、それを浮き彫りのように削って表現することは出来ないからです。したがって、それは、形態の本質が伝わりやすい構図を採用し画面を構築することになります。それが目指すのは、肝心なポイントだけを写し出すということです。 ギリシャ彫刻を模倣したローマンコピーが不完全な美を発見して、これを用いたということは美術史上重要な大業の一つであって、これが真に普遍的な彫刻美の第一歩となっています。この発見は直接の観察に基づきながらも、結果的には誤った手掛かりによって導かれたことは言うまでもありません。たとえば、ミロのビーナスも頭部のバランスが今一つで、彫刻の質から言えば他と比べ低いのですが、ギリシャの等身大の女神像のうち、頭部が残る作例は、この像だけで、その希少性から種々の意味で重要されていることは、意外と知られていない傑作の内実だといえます。それは美というものが、必ずしも信用が置けるものではないことを我々に教えてくれるものです。 本展は、思いがけない何かのきっかけで、より複雑な色彩的陶酔を退けた作家たちの展示です。たとえば水墨画が色彩を積極的に排除したように、日本美術の伝統的な作品は白黒版画だったり、茶道のわびさびだったり、時に色彩が限られるだけに、それだけその形質や素材の違いがよくわかるものです。それは、過去の美術と交錯しつつ、それに近づけようとしていることは明らかなようです。今日的な表現が、静かな構図の中で何かを描くとき、色彩を減じる民族的な感性がにじみ出るものです。これらの性情の広汎な動きを、ジャンルを超えた時代の表現としてお楽しみください。

2021

Vol.03

抽象的であろうとする具象

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 時間別予約制

【 会 期 】 2021年5月27(木) - 7月18日(日) 

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  大沢昌助  /  高橋幸彦  /  鶴岡義雄 

        富田知子  /  室越健美  /  宮崎 進

表紙 室越健美「花のかたち」

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富田知子「再生」

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高橋幸彦「静物」

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大沢昌助「花」

室越健美の作品に向き合って、まず目に飛び込んでくるのは、東洋的な具象と、装飾的な抽象の和音が奏でる、イメージの世界です。交錯する曲線は、単色の平塗りに近い、精美な背景の上で、いっそう輪郭を強め、その中を交錯するように散りばめられた、フォルムと色彩は、すべての構成要素が呼応しあうことで、色と形の探究にも通じます。しかし、明確な均衡を保った室越の作品は、ただ色と形を美的に並べたものではありません。現実の上で色と形を発見し、そのイメージを非現実な画面の上で集成しながら、あくまでも具体的な対象として再構成するものです。その明快で力強い造形は、構成中心の冷たい抽象絵画とは異なり、健康的な生命力を無邪気なまでに発揮しています。 そんな室越のスタイルは、日本的な情感が西洋の美の中で結実したものかもしれません。それは、対象を輪郭線で捉え、その縁取りの中に着色を施しますが、線を際立たせる色彩のフォルムは、面の起伏よりも、デフォルメ化された線を重視する点に、同時代の西洋絵画からの影響が感じられるからです。具象も抽象も一致すると考えているということなのでしょうか。彼のスタイルは、近代絵画の延長線上にあるもので、やや類型的で、硬い造形の中にも、優れた創造性があり、絵画の表現が、何か特定の出来事ではなく、色と形の在り方そのものが主題となる新たな段階に入ったことを示すものでもあります。

80年代から90年代にかけての日本の洋画は、海外から流入する美術の動向から、いくつもの異なる様式が出現する変化と多様性の時代でしたが、この時期に日本で紹介されたベン・ニコルソンやマーク・ロスコへの関心から、特異な画風を用いる一群の画家たちが現れます。その新しい潮流の中で活躍した室越は、抽象的な構成を具象的な体質の中で結びつけ、その様式の可能性を多様に引き出した画家と言えます。もちろん、輪郭にしろ、色彩にしろ、アイディアとしては当時席巻していた絵画様式とも共通するものですが、その画風は説明的な要素を省き、すっきりと洗練させることで、なにがしかの像がそれなりのリアリティを持って出来上がり、また同時に具象の制限から色と形を解き放っことによって、彼なりの固有の美となって表れたものなのです。 本展は、海外の動向が頻繁に伝えられるようになる時代に、抽象的な傾向が強くなる過程で生まれた日本美術の、具体的な形態を残した半具象と呼ばれる折衷的な様式を通して振り返りながら、具象とも抽象とも言いがたい、謂わば抽象と具象の垣根を越えた範疇に注目するものです。繊細なマチエールと絡み合い、色と形の断片を絶えず抽象化する、その様式は、様々な方向へ分岐し、ジャンルの枠組みを超えて混在累積し、新たな胎動を秘めながら発展しています。抽象的であろうとする具象の美をお楽しみ下さい。

2021

Vol.04

​特別企画展

山川真一展

​-色彩のプロムナード-

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 時間別予約制

【 会 期 】 2021年8月12日(木) -  10月3日(日) 

【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日

【展示作家】  山川真一(個展)

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山川真一画集』2021年7月刊行予定

 本展会期中に会場にて販売いたします。

 詳しくはスタッフまでお問い合わせください。

表紙 SAPPORO(Night)

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SAPPORO(Otouri)

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ASAKUSA(2019)

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TOKYO・2015

色彩の魔術

絵といえば、精密な被写体を描く図工に近い世界もありますが、今の時代いい絵とはそれだけではありません。本当にいい絵とは、そこに画家の持つ特徴や個性の著しいタイプが強く鋭く出ているという条件があります。画家のタイプといえば、社会との間合いのとり方にもいろいろなタイプがあります。制作をすすめる上で現実に背を向け、自らの内面化された世界に引きこもる人もいれば、本質の解析を基にして、理論化の作業を優先する人もいます。これとは対照的に、現実の取材を糸口に個人の創意と努力で魔術的な力を発揮する人タイプもあります。こういう画家は断然、空想の世界の中ではなく、現実社会に魅力を発見します。 

都会の雑踏のせわしなさを、あるいは埋め尽くされたビルの灯りを、人間の力で幻想的な世界に作り変えることを魔術と云いましたが、それは童話的な趣味からではありません。また、通常とは異なる個性的な色と形に創作の手掛かりを見出すことは、一寸考えると、むしろ些細な事かもしれません。画家という職業にとっては何の不思議もないことですが、山川真一の絵を見ていると、個性的な色彩の路線のあとに現実との結びつきを増大させる割合が、いかにして、こうも次々と大股の進歩で先に進めるのだろうかという性質が恐ろしく魔術的なのです。

技術的なことを云うと、山川は発色を良くするために、白(光を反射する)の上に透明色をのせます。混色は避けて、見る人の網膜の中で原色が混ざるような配色をします。それは、理論の上からで、そのようにしながらも、最近では更に一歩進めて、全体の明と暗の量的な比較から、必要な暗い色を重ねています。実際の制作過程では、この配色を巨視的に展開しながら、地道にマチェールを積み上げて、色では表せない実在感を増加させていきます。それを単に、現象的な差異として理解するのは安易で間違った態度かもしれません。画家は、色の中でも、本質的なものを抜き出し、単純化した骨組みのようなものを作っているからです。それは、移り変わりの激しい時代の活動の群から数式化したメカニズムであり、心理的な魔術のようにも思われます。

ただ、その魔術については後に述べるとして、画家が独特の色彩を、とめどなく吐き出すために、社会とどのような向き合い方をしなければならなかったのかを触れるだけでとどめたいと思います。山川にかかると個々の具体的な現象によって時代の真相までもが描かれているようなのです。山川にとっては抽象だの、具象だのは問題ではなく、生活の本当の姿を見る眼が大切なのです。それは、我々の日常の中に握られている要素が多く、つまり、釣り人が防波堤の前に人が並ぶことも、札幌の名物たる夜景も、すべてが現実のエピソードですが、多かれ少なかれ浸透している景色を、山川は人間の活動力を働かすためのエネルギーとして美化しているように思えるのです。

社会的な素材が以上のような性格を帯びている以上、色彩や形が飾り物としてではなく、自分の眼で見て本質的な画面を確立させなくてはいけません。画家の興味は、社会の意図とも結びつきます。そのための形成過程も、大衆と芸術との共通の意識を自分の頭で考えることで、推し進めなくてはなりません。それが魔術の第一歩だと思います。それは、時代を論ずる今の映像として、我々が相槌の打てるものです。

しかし、それよりも我々の注意を引くのは、その多彩な色と形の変化です。山川真一は実にあざやかな色彩で、風物の光と影を調和する画家です。画家は年齢的にもさまざまな時期を経験していますが、それは過去の回想というよりも、感度の強い人工性を持った記憶であり、しっかりとした観察によって、人間の感覚というものを教えてくれるものです。たとえば風景を写真にとれば遠景はぼやけますが、我々の目に見える光は飛行船に乗って地上を見下ろすように、あるいは望遠レンズが遠近を圧縮するように、等距離に浮かび上がるものです。山川の最近の作品は印象的です。明暗の対比は、印象をそのまま目に焼き付けて描いているようです。高台から遠くを眺めているような視点は、整然と組み合わされたパズルのように、黒、緑、白、電灯の赤や黄色が、そして夜の風景ではそこに蛍光色が加わり、明暗の美しい表情をたたえています。それは人間の眼のいたずらというか、非合理的な特質をそのままにというか、遠近のある景色を、まるで吹き抜け屋台のような都市像にしています。

 しかし、それにも拘わらず我々が驚かされるのは、遠近に対する微妙な色の区別がされているという事実ではないでしょうか。しかもこの区別は、奇異に思われるかもしれませんが画家の心と合致しているように見えるのです。深浅の度合いを処理する遠近法ではなく、事物の感覚的な構図を意味した遠近法とでもいうのでしょうか。もやや大気のわきあがる景色にあるような、心理におよぼす色彩の働きが感じられるのです。それらは、心理的現象と融合した色に順応するもので、いらぬ推測かもしれませんが、つまり我々は画家の仕掛けた魔術にひっかかったということになります。まことに一朝一夕にできあがったものではなく、天分の鍛練を思い知らされるような罠です。認識の客観性と内的な心理との関係は対立するものではないということも教えてくれるのです。

筆者が述べるような、眼に見える現象を自己に潜む内なるものと融合させることは、近代絵画の常套手段ですが、そこには我々が経験する合理的な風景よりさらにいきいきとした種の現実感をともなっているのです。それは統一ある自我意識により伝達される感覚以上に、光と光、すなわち心と心をつなぐ、存在のあり方を物語るもので、誰もが一度は経験する夜な夜なの幸福の感じが、つまり風景の描写が、線を引き、面を作ると、やがて高さや、幅や、奥行きを持って立ち上がるように、突然、一つ一つのものが意味を帯び、社会の調和が解き明かされる感じが後に残るものです。思うに人間が自力で地上に建設したこの楽園は人間の願望を背景にして出来上がったものです。山川真一はそこに胸をおどらせたのではないでしょうか。そして山川真一は魔術的な色彩を通して、美しい街並や自然を大切にする気持ちを表現したのではないでしようか。つまるところ山川真一の絵は、社会をいかにして見せるか、そのことに目的がつきるのではないかと思われます。

HOKUBU記念絵画館

HOKUBU Memorial Picture Museum