2020
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絵画の写真的経験
【 会 期 】 2020年3月12(木) - 7月19日(日)
( コロナウイルスの影響により会期延長 )
【 会 場 】 2F展示室
【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日
【展示作家】 照沼彌彦 木村光佑 野田哲也
北川健次 大矢英雄 篠原奎次
坂本朝 松井宏樹
19世紀半ばの写真の誕生は、対象をそっくりそのまま描くことの意味が問われ、絵画においては実際の現実以外のものを描く、必要性が生じるようになったことは言うまでもないことですが、写真が鑑賞者に向かって何かを伝えたり、思想を表現したりするのに役立つ手段であるのは疑われないとして、では、それが絵画とどう違い、それを用いる創造主に対してどういう働きをするのか、私たちはそれを問い返してみる必要があるでしょう。
写真と絵画の違いの一面を言うと、絵画が作家の興味に応じて対象の取捨選択が行われるのに対して、写真は切り取ったすべてを映し出す点にあると思います。人間の視野は、スピードと反比例して狭くなるといわれています。たとえば、180度の視野を持つ人間が、時速40キロの車に乗ると100度の視野になるという具合です。視野の外に取り残された部分は、絵画の場合は、画家の興味と目標物との相関関係によるものですが、写真の場合は、望遠や広角といったレンズに入る視野の違いというか、偶然性による場合が多い気がします。そこでは描かずにはいられないものを描くというよりも、撮影者が衝動的に前へと近づいた構図や、動きのある構成をとるための切り取りという要素が多い気がします。ただ、クローズアップの効果や、シャツタースピードを駆使して大胆な裁断をする、カメラという文明の利器をよく嗜むようになると、多少異なった見解も浮かんできます。たとえば、写真を元にポスターは、実像に理想を足して構図を組み立てるものですが、その、イメージを優先した現実の切り取りでは、欲するものをそこに見出し、ひろい集めるという点で、細密に描き込まれた絵画に匹敵する創造性があると言えるでしょう。
一方で絵画は近代において写真に引っ掻き回されましたが、その反動として、実験的な精神で構図を用いて成長し、多くの成果も生みだします。たとえば、写真を元に製版された版画は、写真のような視覚的なリアリティを持ちながらも、空間性を排除して、装飾性などに気をつけるもので、現実を離れて、はじめて現実に匹敵する、色や形の性質が強く感じられるものです。それらは創造者の腕前がモノをいうモンタージュといえます。絵画の構図とは、現実の中にあるものを見る能力に存するというよりも、細部のとれた単純化を採用し、伝えられないことは描かないということに徹しているのではないでしょうか。中には偶然の産物もあるこの成果は、今まで考えられもしなかった新しい表現を切り開いたと言えます。
ただし、それらを写真と比較することで、主要なモチーフに注目しながらも、絵画が何を描かなかったという問題と、写真で何かを撮影する人物が、いかなる断片を切り取り、いかなる写し方を選んだのかについては概観できるかもしれません。絵画としての写真と、絵画の写真的な経験に注目します。
内容主義のファンタジー
【 会 期 】 2020年5月28(木) - 10月4日(日)
( 7/20 - 8/12は示替えのため休館 )
【 会 場 】 1F・3F展示室
【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日
【展示作家】 小杉小二郎(油絵) 樋口千登勢(油絵・版画)
堤 建二(アクリル画) 河原朝生(油絵)
堤 建二 街を旅する
河原朝生 疾しき人
樋口千登勢 嬉しい出来事
ファンタジーとはなんでしょう。幻想という意味では想像に横たわる非現実的な色彩だったり、白昼夢という意味ではフワフワと宙を浮いているようなアンバランスな描写だったり、それぞれに思い浮かべるイメージはあっても、絵画においてその意味を限定するのは難問かもしれません。ただ、おしなべて言えるのは、現実との絆を足蹴にするような嘘を誇示することによって、見る側の想像力に火を付け、それによって広がりのあるストーリーを思い浮かべさせるということでしょう。そして、それがアートである以上は「これ可愛いでしょう」と言うような、他愛のないものではなく、ポエムであったり、メルヘンであったり、超現実の美を描き出す必要があります。 ちょっと見たところは、現実離れしていて、挑発的な色やフォルムを楽しんでいるように見える一部の作品が、実は内面的な営みから発生したり、作者の思い入れが宿っていることがあります。そんな作品の発する言葉に耳を澄ませて、自発的なイマジネーションを働かせることが、見る側にとっての最高の楽しみではないでしょうか。 本展は、意図的にしつらえられたイメージを通して、見る側の意欲的な解釈を引き出します。想像力豊かに絵の中に入っていくと、そこには、いろいろな内容が隠されているものです。作者が何を思い、絵を描いたか、その創造の源泉を汲み取ることは難問ですが、絵に描かれた場面や背景を頼りにした、作品の把握の仕方により、あるいは作者が見せたかった、本当のファンタジーを探りたいと思います。
一人で歩き出す時
【 会 期 】 2020年8月13(木) - 12月20日(日)
( 10/5 - 10/28は展示替えのため休館 )
【 会 場 】 2F展示室
【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日
【展示作家】 吉川聡子(日本画) 橋場仁奈(詩)
吉川聡子 今日という日
吉川聡子 マダ見ツカラナイ
吉川聡子 雨ノ日ニハ
橋場仁奈 詩集
私たちは、家族や学校、企業体など、いろいろな規模の集団の中で交わり生活をしています。それは自己と同質の性格による集団だけではなく、衣食するための境遇だったり、孤独をまぎらすためだったり、活き活きとした連結にかりたてられたものではありますが、その基には人間の集団欲があるのだと思います。もちろん、それは大人だけの問題ではなく、子供も大人も、性別に関係なく私たちを人間関係や対人関係の渦に巻き込みます。一緒に学び、働き、そして苦しみ、時には耐えがたい環境の中でも、うまく生きていくために我々は、そうい
集団の中に適応しなくてはなりません。みんなと同じであることを望み、集団の一員であることを強調するそれは、人間の重要な本能ではあります。 吉川聡子と橋場仁奈は、現代人がそういう生活から少し離れた瞬間を新鮮な構成で描いています。通信のネット化と情報過剰の生活の中で思考するために時間をさくことは困難ですが、それでも人は、しばし自分自身の心の声に耳を澄ませます。そこには何かしら大切な心の芽生えがあるからです。それは単なる集団からの逃避ではなく、社会と誠実に向き合うためのものであり、一人で歩き出すための時間でもあります。二人の作品は、そういう人へのあたたかいエールのようです。それは先人がつけた道筋に沿って、無理に他人を高い理想にひっぱるのではなく、集団の中での人間の適応が持続し、習慣的になっている現代に対する働きかけのようです。しかるに、それは目的のための言葉ではなく、哲学に近い問いです。
油絵なのに、木版画なので
【 会 期 】 2020年10月29(木) - 12月20日(日)
【 会 場 】 1F / 3F展示室
【 開館日 】 会期中の〔木〕〔金〕〔土〕〔日〕曜日
【展示作家】 服部正一郎 木村辰彦 佐藤真一
伊藤悌三 林喜市郎 福沢一郎 須田国太郎
朝井閑右衛門 山下大五郎 内田巌 田中忠雄
仲田好江 中西利雄 菅野矢一 荻須高徳
大久保泰 宮本三郎 田中恭吉 恩地孝四郎
水船六州 棟方志功 浅野竹二 川西英
谷中安規 永瀬義郎 稲垣知雄 前田藤四朗
恩地孝四郎 ポエムNo08 蝶の季節
恩地孝四郎 ポエムNo15 過去
恩地孝四郎 作者心象像
大衆化と独自の芸術表現としての立場を明らかにすべく歩み出した木版画ですが、芸術の一分野としてはないがしろにされ、常に日陰者の存在でもありました。しかし、昭和初期、一般の認識の薄かった木版画が、この頃から手軽な印刷技術として普及していきます。特に全国各地でブームになった版画雑誌の刊行など、創作活動が現在のような各個人の制作によるものではなく、同人誌、雑誌メディアを核としたグループの活動により展開していきます。プロレタリア美術運動に呼応し、木版画の大衆化運動を展開した小野忠重や、実験的な制作により様々な可能性を試みた「一木会」、また「京都創作版画協会」などの活動が活発化し、その間口を発展的に広げていきました。
そんな中で、1952年に、斉藤清がサンパウロ・ビエンナーレにおいて、受賞したことは、戦後の版画家たちの活動を大いに活気付けました。これは、洋画や、日本画を差し置いて、木版画がいち早く国際的なレベルで認められた証であり、それ以上に国内における木版画の再評価に繋がったのです。そして、学校教育にも導入されるなど、それまで芸術の格付けでは、下に見られていた木版画ではありますが、その一分野として市民権を得て、その広大な裾野の上に、隆盛を極めながら、次々と金字塔を打ち立てます。
当時の木版画の表現の特徴は何かと言えば、積極的な平面性とはっきりとしたフォルムにあると思われます。それは、細部が単純化され、全体が装飾的な味わいを持っていますが、そこには創作版画初期の未発達から来る単純化とは本質が異なった、木版画ならではの単純化があります。モチーフを要約して描くその手法は、雰囲気重視の油絵のような曖昧さを許しません。その骨太で重厚なプロポーションを要求する簡略化は、「木版画なので」という形象を追求したものです。そして、構成的な要素とともに、創造的な可能性を持った、その制作行程は、外来の様式を踏まえた抽象的な感覚が厳しく要求され、色と色、そして形と形との関係が必然的に浮かび上がるものです。が、それは、それまで曖昧性への傾斜を殺すような、厚塗りのくっきりとした近代の洋画に呼応するものです。それは、西洋の近代絵画の展開に一歩遅れて同調するものであり、海外からの新しい技術と価値観の導入により、鮮やかな変容を遂げた、戦後日本の文化力を推し量ることの出来るものでもあります。
浮世絵、創作版画、そして戦争を挟み、現代へと断続的に展開する木版画の一つの頂点である、近代の息遣いとその鮮明な表現で異彩を放った一時期は、日本の洋画との関係を浮かび上がらせます。木版画の歴史的なパノラマを概観するシリーズ七回目の本展では、新しい造型感覚の出現を匂わせる時代に焦点を当て、その変容を促進する上で著しく効果があった木版画の近代性を当時の洋画とともに振り返ります。