2025
Vol.6
河 原 朝 生
9月18日 - 10月26日
【開館日】
会期中の木・金・土・日曜日
【開催時間】
10:00 - 17:00(最終入館16:30)
【出陳作家】
河原朝生 Asao KAWAHARA
河原朝生「室内」
ベン・シャーン「伝導の書」
平 塚 運 一
HOKUBU記念絵画館
自分の画風を確立するためには、もとよりいろいろの方法が考えられるだろう。ものの姿の意味をつかみ、それを象徴的にとらえるために、現実を抽象的に表現することもその一つである。また過去の経験にある映像が、しばしば幻覚のかたちをとって「みえてくる」ことがあるが、その記憶の変化が現実の細部をそぎ落とすことは二つ目である。一つには伝統的な理論からで、もう一つは実用的な習慣からだ。私たちはものごとの本質的な部分を、抽象的に大掴みにするくせがあるのだ。
現実を離れて心のなかの世界に閉じこもる河原朝生の絵画も明らかにこの趣がある。ただ河原の場合は幻覚というよりも夢想で、その特徴は一つの考えに集中する点にある。河原の絵が幻覚的であったとしたら、その幻覚はあまりにも明晰だ。河原は手を動かしながら言葉を探し、ただ詩だけを語ろうとして、一つの考えにこだわったインスピレーションを採用するのだ。河原の詩は陶酔恍惚の境にある種の経験をよびさます。これが河原の画風を個性的にする三つ目だ。
たとえば「疾しきひと」では、一人の男が部屋に閉じ込められている場面を描いている。その部屋の壁も天井も真っ赤だ。男は椅子に座って動かない。男は密閉された空間で精神を病んでいく。いらだち、もがき、狂気のエゴイストになる一歩手前だ。まるで映画「シャイニング」を内省的にした場面だ。そして画家の関心はこの一点に集中しているようだ。これは絵の中の夢想ではあるが、バラバラに孤立する社会に実在する現実を描いている。夢想のうちに唯一の楽しみを見出すことも個性である。
もちろん全部をひとまとめにして個性とすることには異論があるだろう。人間のやることだから影響を受けすぎるところもある。絵画の要素が長年の経験から出たことは先ほど述べたとおりだ。しかも本質的な部分を大掴みにするとき、大きな理由を掴んで、小さな理由を捨てた原因が、自分の意見ではなく、社会体制の心理ということもある。別ないい方をすれば、個人差のほかにも、何が出てくるか分からないのが夢想なのだ。ものごとの本質的な原因を追求するとき、我々の考えのおよばない意味があるとすれば、そういう経験を提示することこそが他と比較することの出来ない夢想の経験なのである。